加藤諦三の言葉 第4回 [2000/10/3]

愛を求めても愛されない人
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 「信じること」「信頼すること」というのは、自分を相手に向かって投げ出していくことである。我執の人、つまり不安な人は、信じよう、信頼しようとしても、どうしても自分が残ってしまう。「信じる」ということ、「信頼する」ということは、自分を無にすることなのに、不安な人はどうしても自分が残ってしまう。心が無防備にならなければ、相手を信じることはできない。
 自我防衛的な人は、せっかく自分が好きになってくれた人がいても、しつこくそれを確認しようとして、結果としてその人が自分を嫌いになるように追い込んでいってしまうということがよくある。相手の好意を確認しようとすることは、相手を傷つけることだということに、不安な人は気がついていない。
 また、不安な人、我執の人、神経症的な人、ナルシスト、心の不健康な人、幼児性を残している人、情緒未成熟者、それらの人々は、相手をいかに愛しているかということを表現するのに、自分はこんな犠牲を払ったということを言いがちである。また、自分は「こんなに好きだ」ということを通して、相手の愛情を要求する。
 これらは、その人がまだ能動的になっていないこと、愛する能力を持っていないことをあらわしているにすぎない。



信じあえる人間関係−“あなたを大切にしたい”という言い方
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 自己実現的関係において大切なのは、「私はあなたをこんなに好きだ」ということより、「私はあなたを大切にしたい」ということではなかろうか。「私はあなたを大切にしたい」という言い方には、ナルシストのにおいがない。これは受け身ではなく能動である。
 自分を大切にしない人間は、相手を大切にできない。従って、自己実現的人間も相手に「私を大切にして」ということは、要求として出るであろう。
 「私はこんなにあなたを好きだ」「私はこんなに犠牲を払った」という言い方で、相手の愛を要求するのはナルシストである。しかし「私はあなたを大切にしたい」「私を大切にして」という言い方は、幼児性を脱け出した大人の言い方ではないかという気がする。
 このような言い方ができるとすれば、お互いに相手を信じ、信頼することができるに違いない。友情であれ、恋愛であれ、自分のなかに自然に湧いてくる感情に身をまかせても、何も悪いことが起きない、と思えることが安心感であろう。自然の感情に身をまかせても何も危険なことはない、そう感じられてこそ、心と心の結びついた信頼の人間関係と言えるのではないだろうか。
 そして、そうした安心感の上に、人間は自分のなかにひそむ能力を十分に開花させることができるのである。



虚勢を張っている人は嫌われる
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 嫌われる人というのは、心の底で自信がないのに自信がある「ふり」をする人だと言われる。一口で言えば、虚勢を張って生きている人であろう。虚勢を張る人というのは、まだ子供の頃の甘えの欲求が満たされていない人なのである。他人の注目を集めたくてしかたのない人であり、他人から特別に扱ってもらいたくてしかたのない人なのである。
 虚勢を張っている人が成長するのに本当に必要な人というのは、「あなたはそんなに虚勢を張らなくても、ありのままの姿で十分に魅力的ですよ」といって、その人を受け入れてくれる人である。しかし、虚勢を張っている人はむしろそうした人を避ける。虚勢を張っている人同士で結びつくことがある。
 そんな場合、お互いに傷つけあっているところがある。しかし、お互いに自分の虚栄心を満たすところがあるので、心の底のどこかで憎みあいながらも、関係をつづける。
 お互いに心の底の底ではウソをつき合っていることが分かっている。しかし、それを敢えて意識しない。自分の情緒の成熟にとって本当に必要な人を見分けることは案外むずかしい。だからこそ、人々は時に自分を傷つける人を友人にしたり、恋人にしたりする。
 自分が心の底で嫌いな人を、意識の上で好きになっている人は多い。ちょうど親に十分愛されなかった人が、いつまでも親から離れないようなものである。人間の心理は複雑で、その人を心の底で憎んでいるから別れられるなどというものではない。心の底で憎んでいるからこそ、別れられないということもある。



傷をなめ合うつき合いはやめなさい
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 甘えている人とか、劣等感の強い人というのは、本当は自己実現をしている人とつき合うことが大切なのである。自己実現している人によって、ありのままの自分を受け入れてもらうことが、その人の成長には必要である。
 自己実現している人は、岩が固いということを受け入れ、木が緑であるということを受け入れるように、つき合う人の幼稚さを受け入れる。にもかかわらず。甘えて劣等感の強い人は、自分を拒否する人のところに行ってしまう。
 自己実現をしている人は、こんな愚行をおこなわない。時に二人だけで、大したことでもないことをオーバーにほめたたえ合う、などということはしない。こんなことは、しょせん一時の気休めにしかすぎないのである。また、自己実現している人は、自分の劣等感を隠すために、他人をやたらに非難したりはしない。「あの人達、程度低いのよ」と周囲の人を非難してみたところで、傷ついた自尊心が回復するわけではない。一時的にはいやされても、本質的にはむしろいよいよ傷を深くしてしまうだけである。




ほめられると心が落ち着かない人の心理
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

   自己卑下したり、自責によって自分の価値をたかめようとする人は、正面から他人にほめられると、すぐにそれを拒否しようとする。自己卑下したり、自責を示すのは、他人に対して自分をよく印象づけるためなのに、なぜか正面から他人にほめられると落ち着かなくなる。
 他人にほめられると、「いや、それほどでもない・・・・・・」とテレる人が多い。素直に「ありがとう」とはなかなか言えないようである。素直に「ありがとう」と言わないのは、言うと厚かましい人だとか、うぬぼれているとか思われるのではないかと、恐れるからであろう。
 自分の服装のセンスをほめられるのを、黙って聞いていられなくて途中で遮ってしまうくせに、他人から批判されることにはひどく敏感に反応する人がいる。他人に正面からほめられると、嬉しくなるよりも不安になってしまうのである。それではほめられることが嬉しくないかというと、嬉しいのである。できれば、いつもほめてもらいたいのである。
 このような人と話しているとき、自分について語ることを「真」に受けてはならない。自分のことをけなしたからといって、「ああ、そうなんですか」と言えば、相手は不快になる。自分の美しさを心の底で誇りながら、「私なんか不美人だから」というような言い方をする。自分の語学力を内心得意に思いながら、「僕は英語がうまくしゃべれないので」という。「そんなことないですよ、あなたが下手などと言われたら、上手な人はいなくなっちゃう。」と言ってくれることを期待して、「私は英語が下手だから」と言っているのである。


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