加藤諦三の言葉 第3回 [2000/09/28]

自分を“愛されるに価する存在”と感じているか
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 どうやら、人間の心理にとって決定的なことは、自分が他人に「好かれる存在」であるかどうか、ということであるようだ。実際に好かれているがどうかということではなくて、好かれる存在であると本人が感じているかどうかということである。自分は愛されるに価する存在であると感じられるか、自分は愛されるに価しないと感じてしまうかは、本人の一生の幸不幸を支配する。
 低い自己評価とか、高い自己評価とかいうことも、結局は本人が自分は愛されるに価する存在と感じるか、感じられないかによって、決ってくることである。自分に満足しているか、満足していないかということも、本人が自分は愛されるに価する人間がどうか、ということによって決ってくることであろう。
 小さい頃、情緒的に成熟している大人に囲まれていた人は、自分は愛されるに価する存在であると感じることができるであろうし、情緒的に未成熟な大人に囲まれて育った人は、自分は愛されるに価する存在であるとはかんじることができないであろう。自信があるとか、ないとかいうことも、詮じつめれば、小さい頃、自分は愛されるに価する存在であると感じられたかどうかによって、決ってくることであろう。



“I have a right to be here”と自分に言い聞かせよ
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 自己評価の低い人は、傷つき易い。自己評価が低いということは、「自分は他人に愛されるに価しない」ということである。それは小さい頃、You have a right to be here .というメッセージも、あなたがここにいるのが私には嬉しいのよ」というメッセージも与えられていないからである。
 大人になって、他人といると何となく落ち着かないし、用事が終わると何かそこにいてはいけないような感じになる人は、自分は単に小さい頃、自信を持つに必要なメッセージを与えられなかっただけだと、まず頭で分かることである。自分は落ち着かないが、決して相手は自分が感じているようには感じていないと、まずはっきりと自分に言い聞かせることである。
 相手にとって自分は一緒にいる価値がないのではなく、自分が単にそのように感じているだけだということをまず分かることが、自信を持つための第一歩である。
 「一人になるとほっとする」と言う人がよくいる。そうした面は誰にでもあろう。しかし、他人といると自分に自信がなくなるという人ほど、一人になるとほっとするのではなかろうか。
 小さい頃、I like to be near you.とかYou have a right to be here.とかいう単純なメッセージを、親から与えられなかったということが、他人と一緒に自信が持てないという原因なのである。従って、「自分は他人にとって愛されるに価する人間である」ということを、自分に言い聞かせることが必要なのであって、ことさら他人にために尽くすことが自信を持つために必要なことなのではない。



自分に自信のない人の不思議な心理と行動
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 マゾヒズムというと、私達はすぐに肉体的なことを考える。たしかに、一般的には肉体的なことについて言われてきたことであろう。だが、私は心理的な意味でのマゾヒズムということも、十分考えておく必要があると思っている。
 たとえば、あなたが自分に自信がないとする。すると、ついついあなたを軽蔑するような人にひかれていったりする。「そんな馬鹿な」と思う人もいるだろうが、よく観察してみればそのことは分かる。私自身、自分に自信のなかった時の知人関係を考えてみると、やはりそのような傾向があったように思える。
 心理学には、「反動形成」という言葉もある。たとえば、心の中に敵意などが抑圧されていると、その反対に極端に迎合的な態度になったり、馬鹿ていねいな態度になったりすることがある。また、相手を嫌いであるという感情が抑圧されていると、逆に、これみよがし相手に好意を示すような態度をとる。これが「反動形成」である。
 これは、自分を防衛するためなのである。私が心理的なマゾヒズムと言っているのは、この防衛機制としての反動形成とは同じではない。ただ言いたいのは、人間というのは、このように一見理解できないような行動をとるものである、ということである。
 あなたを馬鹿にするような人にあなたはひかれていくなどというと、理解しがたいようである。だが、やはり自分に自信のない人は、そのように不快なことを敢えてする。おそらく、それによって安心するのであろう。



自己防衛的なつき合いからは友情や愛情は育たない
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 真の友人とか恋人の前では、人間は防衛的にならなくてよい。逆に言えば、防衛的にならなくてよい人が、友人であり恋人であろう。
 防衛的になってしまうのは、相手に原因があるのか、自分に原因があるのか、どちらかであろう。自分に人を信じる能力がないのか、あるいは相手が心の底に敵意を抑圧しているのか、どちらかであろう。
 自分に人を信じる能力がなければ、相手が自分を愛していても、その愛を信じることができない。そこで相手の前で、はじめの頃は自分をよく見せようとしてしまう。自分の弱点を相手に隠そうとする。相手が自分の弱点を非難するのではないか、相手は自分の欠点に失望するのではないか、それらのことを恐れて、その人は防衛的になってしまう。
 相手は自分の欠点をも含めて自分を愛してくれているのだ、ということに、神経症的な人は気がつかない。いや、頭で分かっても、それを信じることができない。相手は自分の弱点を知っても、実際には自分に失望し自分を見捨てていくことはない。それなのに、自分の弱点を知ったら、自分に失望し自分を見捨てるのではないか、と不安になって防衛的になってしまう。(中略)



大切な人にも“ノー”が言えるか−心の健康を見分けるポイント
「やさしさ」と「冷たさ」の心理
(PHP研究所)

 人間はどんなに相手が好きであっても、「こういうことはされたくない」ということがある。そんな時、相手に「ノー」と言えるからこそ、関係は維持されるのであろう。「いやだ」と言ってもお互いの関係はこわれないという信頼があればこそ、「いやだ」と言える。
 心の不健康な人間というのは、相手が自分にとって大切になればなるほど、「ノー」と言えなくなってしまう。これは、心の健康、不健康を見分ける大切なポイントである。
 心の不健康な人は、相手が自分にとって大切になると、その人なしでは生きていかれないような気持ちになる。そうなれば、見捨てられるのが恐い。かくて相手の期待通りに生きようとする。いよいよ自分は自分でなくなっていってしまう。
 心の健康な人は、相手が自分にとってどんなに大切になってきても、その人なしでは生きていかれない、というようにはならない。その人は自分にとって大切である。その人と一緒にいる時間を大切にしようとする。その人とといると誰といるよりも楽しい。その人を力いっぱい大切にする。その人が好きで好きでたまらない。その人を信じている。しかし、そうであるにもかかわらず、その人なしでは生きていかれない、というようにはならない。
 これは、理屈から言えばおかしい。おかしいけど、そうなるところに心の健康のゆえんがある。


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