幸せになれない人は、傷ついた自分の心をどういやすかということから出発する。
そして現実の自分を無視しようとする。実際の自分では傷ついた心をいやせないと思いこんでいる。
現実の自分を無視して行動するから、することが見せかけだけになる。外側を飾ることが中心になる。地に足がついていない。
それは、はたから見ているともったいない生き方である。せっかくいい能力を持っているのに、それを使わないで、
持っていない能力にこだわっている。そういう人こそ、いろいろな才能、若さ、時間に恵まれ、やろうとすれば
いろいろなことができる。それなのに大切な時間と能力を、何も成果が上がらないことに費やしているのである。
人にはいろいろな才能がある。人と比べてではなく、その人にできることはたくさんある。
それなのに、できないことにこだわり、悩みながら二度と帰らぬ青春を浪費する。
ちょうど、たくさんのおいしい料理を眼の前にしながら、そこにないものを求めて空腹で死んでいくようなものである。
なぜ、自分はそんなにも苦しんでいるのかという真の原因を突きとめようとする勇気がないために、毎日つらいおもいをしながら、無駄に人生を送る。
実際の自分を無視してしまうと、人生の大きな目標を間違える。また人生の大きな目標についてばかりではなく、
日常のことについても過ちをおかす。自分の実力を無視して志望大学を決めたり、就職を決めたり、昇進を求めたりする。
さらに、努力のしかたにも過ちをおかす。たとえば、自分の英語の実力は初級程度であるにもかかわらず、中級や上級の勉強をする。
だから努力が実らない。スキーをするにも、自分の実力が初級程度なら、
それに合った指導を受ければそれなりに進歩があるのに、中級や上級の指導を受ける。そしてやはり努力の成果は現れない。
また、強迫的に栄光を求める人は堅実さに欠ける。一歩一歩確実に階段を上がっていくということができない。
表面の華やかさを求めてしまう。地味な努力をしないから、結局、努力の割には成果が上がらない。
松のようにどっしりとした生き方ができない。人知れず根をはっていく努力ができない。成果を早く求めすぎる。
桜の花の華やかさを求めてしまう。努力しながらも挫折をくり返し、いよいよ自信を失っていく。
自分の過去と、自分の心の底にある実際の感情に直面すれば解決するのに、そこから逃げて容易な方法で解決しようとするから、
そんなつらいだけの人生になるのである。身近な人への憎しみや敵意、自分の劣等意識など、そういった心の底にある実際の感情から人は逃避することはできない。それなのに逃避しようとしてもできない現実から逃避しようとしたことが、つらい人生の原因である。
このような理想の自己像の実現を求める栄光追求型の人に欠けているのは、やさしさとか穏やかさといった心理である。
そしてそのやさしさや穏やかさがないことが、まさに彼らが求めているものを手に入れようとするときに障害となるのである。
「栄光化された自己像」を実現しようと必死の努力をしている人が、どんなに正しいことを主張しても、彼らのいうことはなかなか通らない。そこで彼らは人々に怒りをぶつける。人生が不満で不満でたまらない。世のなかを、会社を軽蔑して一生を送る。
しかし、もし彼らが、自分に欠けているものに気づくことができたら、ほんとうに大きな仕事をする可能性がある。
もし「自分は完全でないから素晴らしい」「私は人に優越する必要がない」「人々はすでに十分私を認めてくれている」と思えたら
黙っていても事態は好転しはじめるのである。今まで金切り声を上げて主張しても通らなかったことが、黙っていても通るようになる。こちらが主張する前に相手が賛成してくれる。落ち着いて穏やかに話すだけで、人は耳を傾けはじめる。
私にいわせれば、エネルギーを神経症的努力で無駄にしなければ、ほとんどの人はものすごいことができるはずである。