神経症者は相手を見ていない。相手を理解していない。ではなぜ人を好きになるのか?なぜ人を嫌いになるのか?それは相手が自分の何かを誉めてくれた、自分のコンプレックスを癒す一言を言ってくれたからである。その一言で好きになる。逆に自分のコンプレックスの部分を逆撫でする一言を言い、傷つけたから嫌いになる。神経症型の人は相手がなんでそれを言ったかも考えない。
ある宴会で自分は上席だと思って出席した。しかし期待したよりも下座だった。それで「もっと」頑張る。なんで自分は下座かという事を考えない。
期待したよりも下座なのは自分がお金がないからではなく、食べ方に品がないからかも知れない。お金よりも心のゆとりが必要なのに、もっとお金を稼ごうとしてしまう。
強迫的になってしまう人は誰からも教えてもらっていないのだろう。手を強迫的に何度も洗う。小さい頃「もうそれくらいでいいのよ」と優しく教えてくれる母親がいない。手を洗った後で小さい頃「わー、キレイ」と言ってくれる人がいなかった。
自分の理想像に執着するとは、自分への期待を下げられないということである。「期待を下げる」と言うよりも「自分への期待を適切なものに変更出来ない」ということである。心理的に病んでいる人の問題は「期待を変える」ことを「期待を下げる」と解釈してしまうことである。
心理的に病んでいる人は自分の考える理想の自分にならなければ愛されないと錯覚する。自分には丸の面も三角の面も四角の面も×の面もある。その中の三角が良くて好かれると言うことが理解できない。丸も三角も四角も×もすべてが良くないと自分は好かれないと錯覚する。だから理想像に執着するのである。
登る山はいくつもある。しかし心理的に病んでいる人は「この山」に登らなければいけないと思い込む。「自分はこの山に登る体力がない」のだから、自分の体力にあった山に登ればいいのだが、神経症型の人はそうは思えない。世の中には「あの山」もあれば、「その山」もある。どの山に登っても立派だと思えれば、自分に合う山を探して登れる。だから「この山」に執着はしない。
神経症型の人が「この山」に執着するのは親の価値観なのだろう。小さい頃の親を始めとする周囲の人の期待の内面化である。実は楽しく登ればどの山でもいいのである。
心理的に病んでいる人は成功した自分、皆に賞賛される自分、フットライトを浴びる自分、そんな自分でなければ気がすまない。そうであればそうであるほど失敗の与える心理的打撃は大きい。失敗すると幸せへの道を絶たれると思ってしまう。
「べつにこれ以上偉くならなくてもいい」と思えないということが、理想像への強迫的執着である。実際の自分がその様に能力が無いのだから、自分がなれるもので満足するというのが心理的健康である。