神経症者は自分のしてきたことを棚に上げて、要求だけはする。そしてその要求が通らないと相手を酷い人だと恨む。或いは社会は不公平だと社会を恨む。この神経症的母親にしても、子供を始め周囲の人を恨んだ。彼女の周囲で子供達に大切にされている母親というのは、その母親が若い頃に、母親としての愛情があったから、年をとって子供達から大切にされているのである。ところが自分がしてきたことを棚に上げて、「あの人はあんなに子供達から大切にされている」と、特定のある部分だけを取り出す。
私は悩んでいる人が来るとよく「あなたは、十年前には何をしていましたか?二十年前には何をしていましたか?」と聞く。それは悩んでいる人は今の不満の種を十年前、二十年前に蒔いているからである。
神経症者で病気になって悔しがっている人が居る。体力がなくなったと、周囲の健康な人を妬む。「あの人はあんなに健康なのに」と、健康な人を見ては自分の不健康を恨む。しかし健康な人が十年前にしていたことと、自分が十年前にしていたことの比較はしない。会社を終わって深夜までお酒を飲んでいる人と、会社を終わってスポーツクラブに行く人とでは十年後には健康に差がでて当たり前である。
神経症者で悩んでいる人は「なぜ自分はこうなってしまったか」と言う原因を考えようとしない。だから事態は改善されないで、いよいよ悩むことになる。いよいよ人を恨むことになる。
悩んでいる人は現在の自分の悩みが今までの生き方の結果だと言うことを理解しない。今まで長年にわたっていい加減な生き方をしてきた「あか」が悩みという形を取って表れたのだと言うことを理解しない。だから常に他人を責めることになる。例えば私の所に悩んでいる人が手紙を書いてくる。その手紙の書き方、封筒の書き方、封筒の選び方、言葉の使い方、手紙の出し方のいい加減さは驚くべきものがある。自分が書いてそれを「相手に」出すのだと言う姿勢がない。「相手」を考えていない。これは何も私の所に手紙を出すときだけが酷いわけではないだろう。自分の身の回りの人との付き合い方が常に相手を無視した付き合いなのである。そうした小さな小さな些細な日常の生活のいい加減さが長い間に垢となって身に付いてきたのである。
何カ月もお風呂に入っていないで垢だらけのエリート・ビジネスマンと、いつも清潔にしている平凡なサラリーマンとあなたはどちらと握手するであろうか。悩んでいる人は口で綺麗なことを言い、表面立派なことをしているのだが、自分の日常の立ち居振る舞いが酷く自己中心的で、何よりもずるく利己的になっていることに気がつかない。