加藤諦三の言葉 第6回 [2000/10/18]

神経症的な人は喪失体験を恐れ、愛の保証を必要とする
「自分の居場所」をつくる心理学」 (P.72)
(PHP研究所)

  不安なものの愛情欲求の特徴は[飽くなきこと]である。その表れ方は嫉妬と無条件の愛への要求というニつであるという。まず嫉妬の方から考えてみよう。
 不安でないものも嫉妬する。しかし不安なものはいつも相手を失うことを恐れている。いつも嫉妬している。不安でないものは嫉妬するがそれは嫉妬する理由がある。不安なものは相手が自分を排他的に愛することを求めているのである。
 したがっていつも嫉妬している。
 カレン・ホルナイは次のように書いている。
 The motto is, メYou must love me exclusively.モ 不安なものにとって相手が他の人間ではなく自分を愛しているということが重要なのである。それによって安心感を得ようとしている。他の人間なんかどうでもいい、あなた[だけ]が好きなのだと言われることが重要になる。
 排他的ということが重要なのである。他の人間よりも自分の方が素晴らしいということを相手が保証してくれることが宣要なのである。それは不安なものが自分に自信がないことを表している。
 あの人[よりも]あなたは素晴らしい、あの人よりもあなたの方がずっと素晴らしいと言われて安心するのである。自分[よりも]あの人は素晴らしくないと、相手が言ってくれることが不安な人にとって重要なのである。
 神経症的な人は失うことをいつも恐れているから、いつも愛の保証を必要とする。あの人[よりも]あポたの方が素晴らしいという言葉は、この失う恐れをやわらげてくれるのであろう。あなたは他の人[よりも]私にとって価値がある、そう言い続けてもらいたいのである。



多くの大人は自己中心性に深くおかされている
「自分の居場所」をつくる心理学」 (P.98)
(PHP研究所)

 そしてこの自己中心性は、大人になってもかなりの人に強く残っている。母親が自分の登校の準備を第一にしないと怒り出すのと同じように、奥さんが自分の出勤のことを第一にしないとぷ−っと膨れてしまう夫の何と多いことか。
 テレフォン人生相談をラジオで始めて全国の奥さんから電話をもらうようになって、日本の御主人の何と多くが自己中心性に深く冒されていることかと私は驚いている。小さな子供が蝉を取ってくる。彼は得意である。それを母親に見せる。それをどうして取ったか母親に話す。彼にとっては大変に興味のあることである。その蝉を取ったことが自分と同じように母親にとっても興味あることでなければ、彼は面白くない。
 その蝉を取った話を母親がいかにも興味深く聞き入らなければ、子供は面自くない。子供はその話が自分と同じように母親にも興味あるものだと思い込んでいる。子供には蝉のことが母親に同じように興味あるものに違いないとしか思えない。母親が自分と同じ興味を示しながら聞くことを要求する。それが自己中心性である。  しかし同じように、会社の自分の手柄を奥さんに得意になって話す人がいる。そしてその自慢話を、いかにも興味津々に聞かないと、すぐに膨れる夫がいる。自分にとって興味あることは、奥さんにも同じように興味あるはずだと思っている。いや、興味なければけしからんことだと思う。だから奥さんが同じように興味を示さないと、奥さんをけしからんと思うのである。自分と同じように自分の手柄に興味を持つことを当然のことのように奥さんに要求する。



日本人は平均的にうつ病的である
「自分の居場所」をつくる心理学」 (P.150)
(PHP研究所)

 私は日本人というのは平均的に見てうつ病的であると思っている。その一つは我々が何かというと群れるからである。群れているほうが楽しいのである。単に安心するということをとおり越して、そのほうが楽しいのである。
 他人とかかわりなく自分一人で何かをして満足していられれば、それほど集団の中で生きるのが大事にはならないのではなかろうか。自分一人で気にいった色の部屋にいることで心が満ち足りることができれば、自分の役割にそれほどまでに気分を支配されない。
 彼らの特徴はさらにまた受け身である。自己中心といい、受け入れられるといい、密着といい、自分の側からはなにも働きかけるということはない。役に立つと言っても他者の期待に答えるということではなかろうか。相手から自分にこうして欲しいと言われることがうれしいのである。自分の方から相手に積極的に働きかけるということはない。
 おそらく役に立つことがそんなに好調の原因になるのは、それによって自分が皆に受け入れられているという実感が持てるからではなかろうか。つまり通常彼らは、先に述べた自己無価値感のほかに疎外感を持っているのである。役に立つことでその疎外感を克服できる。
 人は自己無価値感があまりにも深刻になると、他人に利用されることさえ喜ぶようになる。たとえ利用ざれるのであれ、それは人から求められることである。お人好しにもほどがあると言いたくなるが、そんな割にあわない仕事を頼まれて嫌な顔をしないぱかりか、本人はそれを喜んでいる。利用する側は相手を尊敬しているわけではない。扱いやすいと思って適当にお世辞を言っているだけである。



他人のためにではなく自分のために生きてみる
「自分の居場所」をつくる心理学」 (P.214)
(PHP研究所)

 自我アイデンティティが出来てくるということは、自分の好きなことか出来てくると)うことでもある。人のために何かをするのではなく、自分がしたいから自分がする、ただそれだ圧のことでなにかをする。これは人を喜ばすために何かをするというのとは全く違う。人を喜ばすためにだけ何かをして生きてきた人は、喜ばす人がいなくなるとどうしていいか分からなくなる。寂しくなってしまう。役割喪失である。
 娘のために生きてきたという母親が、娘がお嫁に行くとうつ病になることがある。娘を喜ばすためにだけ生きてきたのである。自分のために何かをするということができなくなっている。
 うつ病の契機になるのは喜ばす人がいなくなることといってもいい。自分が何かをしていることの意味が、人が喜んでくれる、人が見てくれる、そのようなことと関係なくなったとき、自我アイデンティティが出来てきたということであろう。
 たとえば誰も聞いてくれなくても、自分が一人でバイオリンを弾い了いることで嬉しい、誰もすごいと誉めてくれなくても、一人でおしゃれをして楽しめる。おしゃれをすること自体が楽しい、おしゃれをしていると気分がいい。図書館で一人で静かに本を読んでいるだけで楽しい。そのことが自分の役割に何の助けにならなくても楽しい。そのような自我アイデンティティがあれば役割を喪失したといって発病することもない。



“不機嫌”の陰に隠されているものは何か
不機嫌になる心理
(PHP研究所)

 夫の不機嫌に悩む奥さんがよくラジオのテレフォン人生相談(日本放送とそのネット局)に電話をかけてくる。「毎日、彼のご機嫌をうかがって疲れてしまった、こちらから喋っていかないと口をきかない」とため息をつく。不機嫌の特徴である「怒りと不満を秘めた沈黙」に悩まされている。「沈黙しているかと思うと、次にはカンシャクをおこす」と奥さんは嘆く。そのくせ夫は「どうも自分がいなくては何もできない」。(中略)
 彼が不機嫌なのは彼女の責任ではない。彼にどのような態度で接しても彼の不機嫌は変わりない。彼の不機嫌の陰には絶望が隠されている。今までその場その場を取りつくろうことで生きてきて、つけが出てきているだけである。誰が側に来ても、その人とは関係なく彼は不機嫌である。彼の不機嫌の奥に潜む絶望感は、かなり深刻なのである。
 そしてラジオのテレフォン人生相談に電話をかけてくる奥さんは、確かに夫の不機嫌に悩まされて悲鳴をあげているのであるが、同時にそれ以上に不機嫌に苦しめられているのは、夫本人なのである。この本では、そのような感情を解き明かしてみたい。


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