加藤諦三の言葉 第243回 [2006/03/02]

自分の欲求が通ったときこそ
「果たしてこれでいいのだろうか」と考える必要がある。
「自分を変えたいと思った今が幸運のはじまり」「三笠書房」


 自分の欲求が案外簡単に通って、幸運と思うのは間違いである。
自分が得をしていると思っているときに、実は大損をしているということがある。 相手が何かを我慢しているから自分の欲求が通ったとする。
しかし相手が我慢していることを、その人は気がついていない。そしてそういう人は、次にまた同 じように何かをしようとする。
そのしようとすることが社会的に望ましいことだとする。 すると、その社会的に望ましいことをする側は周囲の積極的な協力を予想する。
しかし現実には周囲から積極的な協力は得られない。すると不満になる。周囲 の人々を「けしからん」と非難する。
そして周囲の積極的な協力を得て、何か社会的に望ましいことを成就した人を「運がいい」と言う。
しかしお互いの運の違いは、運の違いではなく、それまで の生活態度の違いである。
 運のいい人というのは、年月をかけて人と親しくなっていく人である。長い間に相手が「あー、いい人なんだなー」と感じる人である。
自分を売りこむような 人は、その場でうまくいったと思うかもしれないが、その売りこみで相手に嫌われていることが多い。
 人の不幸が嬉しいような人も同じである。
そのとき、そのときは相手の不幸を望んで、特別に何事も起きないかもしれないが、長年の間にどんどん人と疎遠に なり、あるときに突然不運が訪れる。



BACK← →NEXT
「加藤諦三の言葉」目次へ戻る
トップページへ戻る

このページに掲載されている記事などの無断転用を禁じます。

Copyright (C) 2000-2006
加藤諦三、加藤諦三研究室