人を愛するということは、何よりも自分を磨くということである。
女にとっては、好きな人のために料理をつくり、好きな人の洋服の破れを繕うことはうれしいことであって、何らの努力も必要としないし、何の厳しさもな
い。
それが本当に愛するということであるというなら、愛するなどということはまったく安易な、誰にでもできる、食欲や性欲と変わりのないものでしかないだろ
う。
もちろん、食事を作り、洗濯をし、ということが愛することでないというのではない。
しかし、真に人を愛するということは、何よりも自分自身を日々向上させるということではなかろうか。向上させるとは、何も小学校以来の勉強をしろという
ことではない、いままでできなかった運転免許を取ることもそうであろうし、あまり知らなかったロシア文学を学ぶことも、英会話ができるようになることも、
ヨットをやることも、サッカーをやることもそうであろう。
ただベタベタ、ベタベタとくっついて寄り添っているというのは、愛しているのではなく、愛していない証拠でしかない。