甘えている人間は、自分が望んだということをなかなか認めることができない。それは、自分の苦しみに、自分が責任を持てないからである。
自分の苦しみの
原因は、この自分なのだということを認められないからこそ、人に恩を着せるのである。
本当の姿はこうなのだ、自分はそれがほしい、しかし、そのためには大変な苦労がいる。
しかし自分はそれを望んでいるのだということを認めてしまえば、そ
の苦労に対して、誰にも文句がいえなくなる。
それで「望んだのは俺ではない。おまえなのだ」というのである。「望んだのは俺ではない。おまえなのだ」となれば、自分のしている苦労に対して、どんな
に文句をいったって、愚痴をこぼしたっていい。
「おまえが望んだからこそ、こんなにひどい目にあっているのだ」と、ひどい目にあっていることについて、他人を責められる。
自分が相手に「これこれのことをしてやりたいからこそ、いま、自分は苦労しているのである。
けっして相手がしてくれと望んだのではない。この俺が望んだ
のだ。この苦しみの原因は、この俺なのだ」――これが、甘えを排するということである。