心理的健康について 第54回 [2002/02/13]

第9章 神経症的競走1(4)

 神経症者は周囲に優位するばかりでなくその優位を相手にも認めさせようとするから余計いがみ合いが激しくなる。なぜ優位にたちたいかというと、今まで力で人を抑えているからである。
 心のふれあいのない子供が砂場に遊びに来る。するとその子は徹底的に威張る。仲間にシャベルをかさない。ただ自分に迎合する子にはシャベルをかす。
 そうした子が仲間を作ることがある。その子は自分は仲間と思うが、相手はシャベルを貸してもらうために我慢をしている。だから、その子を仲間とは思っていない。
 その子が棒切れがなくて、仲間と思っている子供に「貸して、、」と言うと、今度は相手の子供は「貸してあげない」という。その威張っていた子は「貸さない」と言われたことがショックである。いじめられたと思う。
 その子は自分は他にたくさん持っているのに、例えばシャベルを持っていないことがものすごく気になる。そうした子供は自分がすべてを持っていないと不安になる。人は貸してくれないことを知っているからである。そして何よりも人の持っている者が気になる。その仲間に、「あの子、どんな子?」と聞いても、仲間の子は「知らなーい」「わからなーい」と言う。
 その親分の子に「今なにしていたの?」と聴くと、「苛められた」と答えることがある。その他のおおぜいの子に「何をしていたの?」と聴くと、「いじめられた」と答える。
 つまりみんな遊んでいなかったのである。心のふれあいのない関係はお互いが必要なことがなくなった時に、すごく残酷な形で終わりになる。神経症的競走はこんな関係なのである。

 相手も優位しようとしている。その相手にこちらの優位を認めさせようとしているのであるから、こちらの優位を認めるはずがない。お互いに相手の優位を認めるはずがないのにその優位を認めさせようと激しくいがみ合う。
 そうなると自分の関心が相手に縛られてしまう。相手に少しでも勝つか負けるか、相手がこちらを少しでも軽く見るかどうかというような些細なことが物凄い重要な事になってしまう。そうなると自己実現などというようなことはどこかへ行ってしまい、ただ相手との関係だけが全てになってくる。

 今の時代、競走の目的が違ってきた。昔、子供が最初に走っていた時を考える。夢中になって走って、「俺一番!」と言った子供が居る。
 「自分が走るのは遅い」と子供は納得している。「でも算数では負けない」と子供は思っている。「あの子を算数で認めたけど、俺は走るのが早い」と別の子は思っている。
 不満な子が競走で勝とうとする、それが神経症的競走である。子供の心を傷つけると言って競走を取り止めにするのは、神経症的大人の発想である。
 大人がきれいごとをいって子供の心を抑えつけていることである。子供は何番といったほうがいい、納得していれば子供は順位を認める。自分も相手も納得して競走してランクがないのは参加した子供にも空しい。



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加藤諦三、加藤諦三研究室