自己実現について研究したマズローは、自己実現をしている人について二つの特徴を述べている。一つは「親しい人がいること」。もう一つは「にもかかわらず」と言う考え方をすることである。「自分は画家になりたかったけれども才能がなかった」「にもかかわらず」自分には価値があるということである。
よく人は不満だから努力する、だから満足はよくないというようなことを言う人がいる。しかしそうした努力の動機は「見返してやりたい」である。復讐を動機とした努力は孤独への道である。自分に満足している人の方が自己実現的な努力をする。自分の適性にあった努力をする。
満足となげやりとは違う。満足と無気力とは違う。満足している人はより自分の適性を伸ばそうと努力をする。神経症の人は自分でない自分になろうと努力する。
自分は自分であるということのどうしようもない事実を喜んで受け入れることが出来るか出来ないかに、神経症と心理的に健康な人との分かれ目がある。「見返してやりたい」と努力する人は神経症。自分の価値を信じて努力する人は心理的に健康な人。
強迫的に名声を追求する人は、皮膚がカサカサで、ボロボロの下着を着て、背広がぐちゃぐちゃで、その上にカシミアのコートを着ようとしているようなものである。そのコートで下の汚れを一挙に隠そうとしているのである。何とかして酷いボロをカシミアのコートで隠そうとしている。上のコートが凄いことで皆から賞賛を得ようとしている。
しかしどんなにカシミアのコートを着ても、ノミはいるし、体はかゆい。そして体が汚れいているから臭気が漂う。そこで皆は期待したほどよってきてくれない。そこで皮膚のカサカサや下着の汚れはそのままにして、今度はカシミアよりもさらに高価なミンクのコートを着ようとする。それが強迫的名声追求の心理である。
その人が本当に幸せになるためにするべきことは先ず風呂に入って、下着を洗ってということなのである。幸せになるための努力はミンクのコートを着ようとすることではない。その人はミンクのコートさえきればすべては解決できると思っている。
ある人にとってはミンクのコートは子供である。子供の成功がミンクのコートである。別の人にとってはテレビに出演することがミンクのコートである。
コートがなくても相手に対する思いやりがあれば相手から受け入れられると言うことが強迫的名声追及者にはどうしても理解できない。