心理的健康について 第44回 [2001/11/30]

第7章 神経症者の要求の特徴4(16)

 ところで私は若い頃なぜ実際の自分を受け入れられなかったのであろうか。なぜ非現実的な期待を自分にかけて、それに固執して悩んでいたのであろうか。なぜ実際の自分の能力で満足して、その自分の可能性を実現して行くことに喜びを感じなかったのであろうか。

 それは心の底で父親と対決することを恐れていたからである。私がその様に非現実的なほど高い期待をかなえて初めて私は父親に認めてもらえた。私は父親の承認を得るためにはその様に非現実的なほど高い基準で自分を評価しなければならなかった。私の父親は社会的な自分の立場に物凄く不満で、世間を恨み、それを息子の成功で見返してやりたかった。
 父親の承認なしに生きて行かれない私にしてみれば、その期待を実現することは至上命令であった。私はその非現実的な理想に固執せざるを得なかったのである。私が実際の自分を受け入れると言うことは父親と対決することであり、父親の承認無しに生きて行くことである。私がそれを避けようとする限り私は何時までも自分の想像の中で作り上げた理想的自己像にこだわらなければならなかった。何時までも実際の自分を拒否しなければならなかった。
 実際の自分を受け入れることと親からの心理的離乳とは同時に起きる。私が親からの心理的離乳を完成できず、何時までも心理的に親に依存している限り、私は実際の自分を憎み続けなければならなかったのである。
 ありのままの私は愛されるに値しないと言う感じ方を避けるためには私は自分が理想の自分であると自分にいい続けなければならなかった。心の底ではありのままの私は愛されるに値しない、成功した私しか愛されるに値しないと感じていたのである。
 当時の私にはありのままの私を愛してくれる人などこの世にいることはとうてい信じられなかった。そんなことを言う人がいれば、それは私をからかっているか、気がおかしい人としか思えなかった。それ程までに私の自己無価値感は強かった。
 私は肉親の愛と言うものを知らないで育った。肉親の愛とはどんなに欠点、弱点があっても[そのお前が素晴らしい]と言ってくれ、実際そう思ってくれる事である。肉親の愛を知っている人は神経症にはならない。なぜなら愛されるためには今の自分のそのままで何も不足はしていないと感じているからである。



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加藤諦三、加藤諦三研究室