さて次に親からの心理的離乳である。今まで説明したように心理的健康とは、自分の能力が大きかろうが小さかろうが、自分が自分であることを喜ぶことである。私自身若い頃神経症的なところがあって、自分の能力に満足していなかった。どうしても私は実際の自分の能力も適性も受け入れることが出来なかった。
私は父親の期待をかなえることが自分の人生の意味になってしまった。そこで自分の欲求を明確にすることができない。年と共に自分の欲求ではなく父親の欲求をかぎ分けるようになった。
しかし自分が自分であることを受け入れられるようになってみると、何で自分は自分でしかないというこんな当り前のことが受け入れられなかったのかと不思議になる。何で非現実的なほど高い期待を自分にかしていたのかと納得できないような気持ちになる。
私は神経症の頃、心の底の底では自分がそんなに能力が無いと云うことは知っていた。しかしそのことをどうしても認めることが出来なかった。自分は自分が憧れる理想の人間ではないと認めることが出来なかった。自分は自分であってはならなかった。自分はどうしても実際の自分より偉くなければならなかった、自分はどうしても実際の自分より能力がなければならなかった。
しかし自分が実際の自分を受け入れられるようになってみると、どうしてあんな感じ方をしていたのだろうと不思議になる。自分は自分なのだから自分の能力で行けるところまで行くのが当り前であり、それが嬉しいのも当り前であるように感じ始める。
実際の自分を受け入れてくれる人がこの世の中にいるのもまた当り前に感じる。自分が自分を受け入れてみると現実の自分を受け入れてくれる人がこの世の中に沢山居ることが分かる。そしてその人達と楽しく人生を生きられるのもまた当り前に感じる。それは太陽が東から上り西に沈むのと同じくらい当り前なのである。
実際の自分を受け入れられるようになってみると、実際の自分を受け入れないのは太陽が東から昇ることを受け入れないのと同じくらい滑稽に感じる。つまり神経症の人は実際の自分の能力を受け入れられないというよりこの世の現実を受け入れられないのである。