私は第四を加えたいと思っている。それは失敗に積極的な意味を見つける人とそうでない人である。失敗を悪いことと考えるか、良いことと考えるかである。
失敗に対する対処の仕方で失敗は成功への一里塚ともなれば、泥沼にもなる。失敗するとすぐに失望して、夢を諦める人がいる。事態は対処の仕方で変わると思って失敗を成功に導く人もいる。
学生でも中間試験で失敗して「あーよかった」と思う学生がいる。もっと大切な期末試験でこの失敗をしなくてすんだと思うからである。失恋しても、振られても「あーよかった」と思う人がいる。なぜ振られたかが分かるからもっと大切な結婚相手の時にこの失敗を繰り返さなくて済んだからである。
人生に失敗はつきものである。そうであるのに、心理的に病んでいる人は失敗を避けようとする。そして失敗しても失敗の積極的な面を見いだせない。しかし失敗に積極的な意味付けをする人は失敗しても、まず「良かったー」と考える。それはこの失敗があったからこそ、もっと大きな失敗が避けられたと思うからである。
失敗と言っても物凄い失敗だけではない。ここで失敗と言っているのは、事業に失敗するとか、結婚に失敗するとか、そういう非日常的な大きな失敗ばかりを言っているのではない。日常的な些細な失敗をも含めて言っているのである。
例えばある会社の、ある年の忘年会である。あまり奇麗ではない食堂で生牡蠣を食べてた。下痢をした人が沢山出た。その時に「あー、よかった」と言った人がいた。それはこういうところで生のものを食べてはいけないと体験で知ったからである。悲観的な人は下痢に苦しみながら「あんなところで忘年会をする」幹事を恨んだ。
失敗に積極的な意味付けをする人はこの下痢のおかげでもっと重大な仕事が控えている次の年の暮れに下痢をしないですんだ。しかし幹事を恨んでういた悲観的な人達はそこで学ばないから、同じ様に次の年に、別の場所で生のものを食べて同じ様にお腹を壊した。