別の仕事の失敗というような例で考えてみよう。確かに今の仕事の失敗はある人に騙されたからかも知れない。だから「あいつに騙された」と「あいつ」を恨むのは分かる。しかしそれは前に同じように失敗をしたときに反省をしなかったことが元の原因かも知れない。
前の失敗が人の煽てに乗って投資をしてしまったことだとする。もしそうなら「お世辞の弱い自分」を深刻に反省しなけければならなかったのである。その反省が足りなくてまた同じように人のお世辞が気持ちよくてその人のいうなりにお金を出して失敗したのである。
或いは前の失敗は人の口先のきれい事に騙されたのかも知れない。だとすれば「人の言う口先のきれい事は絶対に信用してはいけない」と骨の髄まで分かっていなかったのである。人の口先のきれい事に騙されるのは「いい人」と思ってもらいたいからである。そうであるなら人によく思ってもらおうとする自己不在を反省しなければならないのである。
先の母親でも、もし「考えてみれば、自分は一度も子供のことを可愛いなーと、思ったことはなかった、一度も子供の顔を見ていればそれで幸せと思ったことはなかった、だから子供達が真剣に自分のことを大切にしないのは当たり前だなー」と原因を突き詰めていけば、子供達の気持ちも変わるのである。「お母さんが変わった、昔のことはもういい、たった一人の母親だから大切にしよう」となるだろう。
しかし神経症的になると「母親を大切にするべきだ」という、自分に都合いい一般的な規範を振りかざして周囲の人々を責める。子供とはかくあるべきという理想の子供像を掲げて現実の子供を批判する。だいたい正義の御旗を掲げる人には神経症者が多い。その規範の適用される範囲のことは考えない。
そしてこの正義の味方の御旗に弱いのも神経症者である。自分がするべきことをしていないから、この様な表面的な正義と愛の言葉を言う人に弱い。いつも自分がずるく立ち回っているから心の底にやましさがある。そこでこの神経症者の「正義と愛の言葉」に振り回される。「ノー」と言えない。自分の出来ることを誠実にしている人は、心の底にやましさがないから神経症者の「正義と愛の言葉」にはっきりと「ノー」と言える。神経症者は神経症者に騙されるが、心理的に健康な人は神経症者に騙されない。
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