心理的健康について 第76回 [2002/08/19]

第15章 行動と動機4(3)

 子供はなぜ切れるか?
 子供が種を蒔いて芽が出た。種をびっしりと蒔いたものだから、芽も出すぎた。そこである人が芽引きをした。芽を持っていってしまったことは正しい。
 しかし子供は「悔しい」と騒いだ。子供は努力したことを簡単に受け取られた。それが悔しいのである。そうしたことが繰り返され、積み重なると子供は「切れる」。
 アメなら「あげろ」と言われればあげられる。玩具なら「あげろ」と言われればあげられる。そうしたことは「こうしろ」と言われたように出来る。教えられたことを出来る。
 しかし自分が努力したことを「こうすべき」と言う立場から、簡単に「こうしろ」と言われると、そうは出来ない。「切れる」のは一生懸命したことを認めてくれないときである。
 叱られて切れるのも同じ事である。こんなに一生懸命しているのに叱られる筋合いはないと思うからである。辛いのは自分の気持ちを理解されない時である。これは大人も子供も変わりない。

 子供が今日宿題をすると母親と約束した。しかし実際にはしなかった。そこで母親は子供を叱る。「約束を違えた」と叱る。子供は震える声で「やろうとしたけど出来なかった」と言い訳をする。そこでその言い訳を聞いて母親はもう一度子供を叱る。
 しかしその様なことを続けても子供は意欲的にはなってはいかない。子供は宿題をしなかったが、やろうとはしたのだろう。やる意志はあった。しかし実際の行動には至らなかった。
 そこで「やろうとはしたのよね」といったん子供の心を汲み取れば、子供の気持ちは安定する。そして次には実際にすることになるだろう。それを「やろうとした意志」を無視して子供を叱るから子供はいよいよやる気を失う。中には「お前はどうしてそんなにダメなんだ」と言うような言い方をして子供を責める親もいる。
 子供がなぜ約束を破ったかと言う動機である。母親への反抗とか、学校の先生が嫌いとか言う動機で意図的に約束を破った訳ではない。
 体罰の善し悪しも同じである。子供を愛する動機からの体罰と憎しみからの体罰では子供への影響は全く違う。
 子供を愛する気持ちからのしつけをしたら子供は納得する。例えばマナーを厳しくしつけられたけども、楽しい食事だったなどと言う場合である。しかし父親が偉大さを示すために厳しくマナーをしつけたら子供は恨む。



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加藤諦三、加藤諦三研究室