部屋のドアを開けている息子がいる。「親の期待に添う僕ですよ」と従順を表明している子供である場合もあるし、単にだらしがない子である場合もある。同情を求めて泣く人もいれば、優しさがあるから泣く人もいる。
無口でも、言うことがないから黙っている人と、何かを言うと相手と関係が出来てしまうから黙っている不機嫌な人と、言いたくても気まずくなるのが怖いから言わないでいる人といる。相手が嫌いなのに嫌いと思われたくないから黙っている人もいる。嫌いと言いたくても言えないから黙っている人もいる。
約束の一五分前に行く人がいる。メランコリー親和型的な真面目な人は時間を守らないと自分が気持ちが悪いから約束の時間を守る。相手を待たせてはいけないから約束の時間を守る人もいる。約束を守らない人と思われたくないから、約束の時間を守る人もいる。
フロムは勇敢な行動が、実は野心という動機に基づいており、人に賞賛されたいと言う渇望を満たすための時があると述べている。それなら勇敢な行動をとる人は、虚栄心の強い人と言ってもいい。
あるいは意識的、無意識的に、人生の価値を認めないで、自分自身を滅ぼしたいと思っていることが危険な行動に駆り立てることもあると言う。また単に想像力が欠けていて危険を知らずにしてしまうこともあると述べている。もちろん目標に対する純粋な献身と言うこともある。
(註:人間における自由、75頁、Erich From,Man for Himself, Fawcett World Library, Inc,1967 p.63)
社会生活には協調性が大切だという。その協調性も動機が問題である。不安から人に合わせるのと、愛情や思いやりから相手に合わせるのとでは全く違う。不安から人に合わせるというのは、自己不在である。心理的に言えば決して望ましいことではない。外から見ると協調であるが、心理的に言えば迎合である。