他人に自分をよく印象付けようとする動機から来る真面目さ、仕事熱心さ、こうした自分を売り込むための真面目さのほかに、もう一つは心の底の不安、怠惰、無感動を自分と他人に隠すための真面目さ、熱心さもある。それはいわば、憂鬱な真面目さ、憂鬱な熱心さである。そういう人は、孤独感から逃れたいためにマゾヒスティックなまで自分を駆り立てる。
ではなぜそれらの人々はそこまで他人に自分をよく印象づけようとするのか。一口で言えばそれは自信がないからである。自分に自信がないから批判されまいとして真面目になり、仕事熱心になる。
まず第一に、仕事熱心や真面目の真の動機は自分が愛されるに値しない人間であると言う感情を味わうことを避けるためであったりする。そうした不安の防衛としての真面目であり、仕事熱心である。
そうした自分を信じられない真面目少年や、真面目サラリーマンは真面目でなければ他人の気を引けないと思っている。自分を信じている人はまず他人の気を引く必要を感じていない。だから人から好意を得るために真面目になることはない。
そうした自信のない人は、世間の評価を気にする。そこで生真面目に仕事をすることが最も安全なのである。彼らは世間の目を気にして真面目に振る舞っている。世間から自分を守るために真面目になる。
第二に、自分が無能力な人間であると言う劣等感を味わいたくないので仕事熱心で真面目に振舞う。自分が無能力な人間であると言う感じ方を避けるために仕事熱心で真面目に振舞う。その仕事ぶりを見て自分で自分は無能力な人間ではないと思おうとする。
ここに逃避のメカニズムとしての真面目さや仕事熱心が生じてくる。淋しいから、自信がないから、人は真面目になり、仕事熱心になる。
自分の弱点を隠し、批判されまいと緊張している真面目なサラリーマンがいる。いつも肩に力が入って息苦しい。このような真面目さは周囲も息が詰まる。
彼らは仕事をすることを楽しめない。そして仕事の成果が上がらないとひどく苦しむ。仕事のプロセスを楽しめない。燃え尽きる人はこのような仕事熱心タイプである。
一七歳の「真面目な」少年達の攻撃性は外に出てしまった。しかし攻撃性が内に向かい鬱病になったり、ノイローゼになっている「真面目な」ビジネスマンや「真面目な」主婦も多い。
これらの真面目さと自分の人生の目的を達成するための真面目さとは違う。同じ真面目でも動機が違う。