人を育てる 第40回 [2003/07/23]

 五百円玉を拾って交番にとどけない子供

  五百円玉を拾って交番にとどけない子供がいた。それを見ていた近所の奥さんがその子の母親に、それを告げた。
 そこで母親はその子に「五百円玉を拾って交番にとどけなかったでしょ」と言った。するとその子は「拾っていない」とウソをついた。すると母親は、交番にとどけない上に、さらにウソをついたと、その子供を責めた。そして「子供に、拾った物は交番にとどけるという事を教えなければいけない」と言った。
 しかし子供の教育で、大切なことは拾った物を交番にとどけるという規範よりも、むしろ、拾った物を交番にとどける気持ちを育てることである。
 まず「ママも、拾った物、交番にとどけなかったことあるけど、何に使ったの?」と聞いたらいいだろう。子供の教育には親が完全な人間であることを主張する必要はない。親だろうが子供だろうが完全な善人など居ない。
 そして子供が「ゲームセンターに行った」と言ったら、そこに一緒に行って「それを使って面白かった?」と聞いてみる。
 そして「すいません、この子はここで拾った五百円を使ってしまったけれども、これからしませんから」と母親が手を合わせて一人で言う。それを見て子供はどう思うか。そして次に母親と一緒に母親の五百円玉を交番にとどける。そして拾ったものは「警察にとどけた方が気持ちいいなー」と教える。
 しかし今の日本では「なんで警察にとどけないの」と子供を責めることが教育と思っている母親が多い。問いつめて、規範だけ教えても、何でとどけた方がいいのか子供には分からない。
 子供に「盗んではいけません」と言うことが教育ではなく、「盗まないようにしよう」と思う心を育てるのが教育である。本人がそう思う様に持って行くことが教育である。
 もしそうでなければ教育ほど簡単なものはない。正しいことを言うのが教育なら、教育には情熱も忍耐も努力も必要なくなってくる。
 最近親の相談を受けながら基本的に今の親は子供の教育と言うことについて勘違いをしているのではないかと思う様になった。
 青少年の自律への教育が青少年に「自律しなければいけません」と言えばいいのなら誰でも教育はできる。
 しかし青年自身が「自分も自律しなければ」と思う様な心に持っていくことが教育だから、親も先生も苦労するのである。だから教育には情熱も忍耐も努力も必要になる。




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加藤諦三、加藤諦三研究室