人を育てる 第10回 [2002/12/13]

なぜ、子供は「これしていい?」と母親の顔色を見るのか?

 だいぶ前から「最近の新入社員は指示をすれば指示したことはきちんとするが、指示がなければ何もしない」ということをよく聞く。指示待ち族は判断能力がない人々である。
 ではどうしてこの指示待ち族と言われる若者が誕生してきたのであろうか。私はその原因の一つは家庭教育にあると思っている。それは何をするのも親の顔色を見て生きてきたからである。
 例えば母親が子供に「ここは客間だから散らかしてはいけません、自分の部屋は自分の好きにしていいです」と教えたとする。もしこの母親の言うことが一貫していれば子供は混乱しない。客間を汚したときに母親が怒っても子供は混乱しない。しかし母親は時には、自分の部屋を散らかしていることを「こんなことしているからあなたは成績が悪いのよ」と怒れば、また逆に客間を散らかしていても怒らないで笑っていることもある。
 母親の言うことは母親の感情に従ってその時々で違うとする。そうなると子供はどうなるか。とうぜん「どうしていいか分からない」。どうしていいか分からないと、子供はどうなるか。「これしていい?」と母親の顔色を見なければならない。つまり母親の指示を待つ。判断能力はなくなる。自分の判断基準がなくなる。基準は母親の感情に従った指示になる。こうした家庭教育における一貫性の欠如が指示待ち族の誕生の一原因であろう。
 もう一つ例を挙げてみよう。子供がお砂場で遊んでいる。隣の子供が「そのバケツ貸して」と言った。子供は「イヤだ!」と本音を言った。すると母親は「貸してあげなさい、喧嘩しないようにいつも言っているでしょ」と子供は母親に叱られた。そこで子供は嫌々ながらバケツを貸してあげた。
 しかし次の時に仕方なくバケツを貸してみたら、後で母親は「そんなに貸してあげることないのよ、イヤならイヤとはっきりと自分の意志を言いなさい」と言った。
 こうなればその次には「そのバケツ貸して」と言われた子供はどうしていいか分からない。分からないから母親の顔色をうかがうしかない。そして母親の指示を待つ。
 指示待ち族の問題は、そうした生き方は小さいころの親子関係の中では正しかったが、今は違っていることに気がつかないことである。小さいころ、自分を守るためにはそれしかなかった。問題は大人になってもそれをしていることである。トラブルなく自分の意思を伝えられることが自己確立なのである。



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加藤諦三、加藤諦三研究室